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宵月楼-しょうげつろう-

あやかし風味。ミステリー皆無。恋愛要素多少混入。

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【769】

 根付兎の兎波(となみ)は空を見上げた。
 薄い青の霞のかかった空になにかが見えた気がして、兎波は目を凝らす。
 ひらひらと、小さな欠片が飛んでいた。
「・・・なに?」
 手を伸ばす。
 最近、人の形が身に馴染んできて人の姿でいることが多くなった兎波は、ぱたぱたと走っては降って来る欠片を捕まえ、手の中を覗き込む。
 薄紅の、少ししっとりとした小さな欠片。
 ぎゅっと握ったらつぶれてしまいそうで、そっと手のひらに包み込むと犬神の瑠璃丸のもとへ駆け寄った。
「なに?」
 手のひらを広げて見せると、瑠璃丸は目を少し細めて微笑んだ。
「桜だ」
「さくら?」
「ああ、これは桜の花びらだ。・・・こっちにおいで」
 瑠璃丸は兎波の小さな手をひいて、緑の増えてきた田舎道を歩き出した。
 ぽくぽくとあるいていくと、目の前に薄紅の雲が見えた。
 そのそばまで兎波をつれてくると、瑠璃丸は小さな体を抱き上げた。
 視界一杯に広がる薄紅。
 初めて間近に見る春の色。
「これが、桜だ」
 ざあっと風が吹いた。
 見上げた兎波を歓迎するように、桜の花吹雪が二人に降り注いだ。
「わあ・・・」
 両手を伸ばして兎波はその花びらをつかもうとする。
 そして、首を回すと「あっ」と小さく叫んで瑠璃丸の白い髪に手を伸ばした。
「つかまえた!」
 髪にくっついていた花びらを指でつまんで、兎波は嬉しそうに瑠璃丸に笑いかけた。
「春、つかまえた!」


-終-

早く桜の季節になれー(^^)
兎波(となみ)は去年犬神の瑠璃丸に拾われた兎の根付で、やっと付喪神としての力を持ち人の形になれるようになったので、初めての春に興味津々なのです。
この前の話(桜吹雪に君を待つ春)を書いて、なんだか瑠璃丸の桜を見る目が少し寂しげで優しい感じになっているのではないかと思うようになりました。
凛音に対する言葉なども、深みが出た気がします。
書いていく作業は、ちょっとずつ彼らの歴史を埋めていく作業のような気がしています。


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【768】

「これを主様に」
 月華花魁はふっと笑って、花活けに飾ってあった花の中から笹の葉を一枚とった。
 優雅な白い指がそれを笹舟に仕立てる。
「うまいもんだな」
「幼き頃に覚えたものは忘れませぬ」
「そういえば、おてんばで外で遊ぶ方が好きだったな」
「もう昔のことです」
 月華は「花街のかぐや姫」と称される美貌を少し苦笑で彩った。
「内緒ですよ?本当は郷のことに触れるのは禁じられているのです」
 俺も苦笑して差し出されたそれを受け取った。
「まあ、いいんじゃねえの?俺は人じゃねえし」
 そう。俺は客じゃない。人ですらない。月華の生まれ郷にある古い神社の神使のひとつだ。
 主が月華に懸想して売られる彼女を攫おうとした時、月華はきっぱりとそれを拒んでこの花街に売られてきた。
 人としての生を全うしたらおそばに上がります、と言ったその言葉を主は受け入れ、しかし心配でたまらぬからと俺を時折様子見にやるのだ。
「まあ、どうしようもねえ主だけど、あんたのこと気にしてることだけはおぼえていてやってくれよな」
「ありがたいことです。こんなわたくしの言葉を受け入れてくださって」
「変わりもんなんだよ」
 俺が肩をすくめて言うと、俺の頭をふわりと撫でて、残っている方の手に懐紙に包んだ菓子を持たせてくれる。
「よろしくお伝えくださいね。道中お気をつけて、烏丸殿」
「ありがとよ。・・・また来る」
 月華の思いのこもった笹舟と菓子を持って、俺は人目につかぬよう窓から空へ飛び立った。
 俺の背中の黒い翼を、月華はどんな思いで見上げているのだろう、と思いながら。


お題: 「神社」、「笹舟」、「花魁」で創作しましょう。 #jidaiodai http://shindanmaker.com/138578


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瑠璃丸のお話。
ややこしいですが、冒頭と最後は現代。他は江戸中期頃のお話です。
では、一足早い桜の物語をどうぞ。


桜吹雪に君を待つ春


 花びらが降る。
 犬神の瑠璃丸はその薄紅の欠片が際限なく降り注ぐのを、声もなく見つめていた。
 長い髪を頭の上の方でひとつに束ねた髪型は、今の時代、男には珍しいものであったが、すらりとした体格とあいまって、まるで時代劇の剣士のような印象を見る者に与える。ニットとジーンズは黒一色でそれが少し近寄りがたい印象を与えるが、それでも女性の目をひくには十分な独特の鋭い雰囲気を宿している。
 しかし、本人は周りの目など気づいていないかのように、一人静かに桜を見上げていた。
 いつも桜の花吹雪を見ると、周りの喧騒は消えうせ、ただその花びらの中に自分と彼女だけがいるような気持ちになるのだ。
 だが、ここに彼女はいない。
 瑠璃丸は、つきりと痛む胸をそっと左手で押さえた。


 それは、二百年ほど前の話になる。
 瑠璃丸は、ある春の日、何の目的もなく旅に出た。
 本来孤独なあやかしが幼くして拾われ人間に育てられたという自分の境遇に疑問を持ったわけではない。
 気は合わなくとも兄弟のように育った猫又の翡翠が、ふらりと家を空けて帰らなくなったのも猫の性故のことと思っていた。
 だが、なぜだろう。
 気づけば遠くに思いを馳せるようになっていた。
 風の匂いに、日の光の揺らめきに胸がざわつき、そのまま原因を探しに駆けて行きたい衝動に駆られた。
 不器用な言葉でそれを告げた瑠璃丸を、妖狐の琥珀は何故か柔らかい眼差しで見て、当座の旅費を無造作に投げてよこした。
「行って来い。おまえももう子供じゃねえってこった」
 そこにこもった感情を読み取り損ねて瑠璃丸は琥珀を無言で見つめたが、琥珀はそれをかわすように視線を外し、「野垂れ死ぬ前に帰ってこいよ」と言っただけだった。
 ほんの少しの荷物だけを持って、行く当てもないまま山野をさすらう生活が始まった。
 どこへ行ってもいい。
 行かなくてもいい。
 ただ、気の向くままに旅をする。
 そうして一年二年と過ぎればそれなりにこつもつかめるもので、時折人里で日銭を稼ぐ他は大抵山や野で食べ物を調達し、山で暮らすようになっていた。
 犬神の性質上もとより鼻が利くし、人と関わらずに暮らしていると感覚が鋭くなるのか、食べるものには困らない。
 また、人と触れあうのがあまり得意ではなかったので、極力人と関わらない自分一人の生活というのは気が休まった。
 一人きりで過ごしていると、あやかしの本性が自分の中で大きくなっていくのを感じる。
 時に白い山犬の姿に戻って野をかける。
 闇の中にあやかしの世界が広がっているのを肌で感じる。
 それは自由で、奔放で、時に血なまぐさい。
 人に害をなすあやかしを懲らしめるようになったのは、そうやってあやかしの世界に触れるうちに人を害するものが必要に迫られているのか、単に遊びでやっているのか見分けられるようになったからだった。
 対象になるのが人の世界でも悪事を働くような輩であれば止めはしないが、真っ正直に生きているものを弄ぶのはどうにも放っておけなかったのだ。
「あやかしのくせに人の味方をするのか」
 そう問われると、瑠璃丸は大抵首を振ってこう答えた。
「自分より弱いものを害する卑劣が許せぬだけだ」
 そんな生活の中、雪深い冬の日に助けたのがその娘だった。
 小柄な人影が雪に足を取られ倒れるのを見て、瑠璃丸はとっさに駆け出していた。
 娘は追われていた。
 気配からして、あやかしどもは人を食らう種類のようだった。
 それも生きていくためならば仕方ないと思わないでもなかったが、やはり目の前で人が殺されるのを見るのは気分が良くない。まして女子供であればなおのこと。
 その程度には人という存在は瑠璃丸の中ではやはり近しいものだったのだ。
 それに、なにより、彼女から漂ってくる不穏な匂いに瑠璃丸は迷わず介入を決めた。
「よせ」
 言葉少なに双方の間に割り込む。
 追ってきたあやかしたちは、いきなり現れた小柄な人の姿の瑠璃丸に驚いて立ち止まった。
 気配からあやかしとわかるだろうが、黒い着物に袴姿の少年にしか見えない瑠璃丸が何者か捕らえかねて、すぐには攻撃を仕掛けてこない。
 娘の方は息も絶え絶えでもう一歩も動けないのか、その場から去る気配はない。
 去ってくれれば時間稼ぎをしやすいのだが、と思いつつ、瑠璃丸はあやかしたちと対峙した。
「どけ、小僧」
 気が荒そうな大柄のあやかしが太い腕を勢いよく振り上げ、瑠璃丸めがけて振り下ろした。
 かばわれた娘が、背後で小さな悲鳴を上げる。
 だが、瑠璃丸はそれを右手を少し持ち上げるだけで受け止めて、腕の下から鋭い目つきで頭二つ分は上背のある相手を見上げた。
「これを狙うのはよした方がいい」
「なに?」
「死臭がする。これほど若くしてほどなく死ぬのだ。悪い病やも知れぬ。腹を壊すぞ」
 娘からは死期の近い匂いがしていたのだ。
 あやかしが人の病に影響を受けることは少ない。自分の言葉が彼らを押さえられるとは、瑠璃丸も考えてはいない。むしろ、言葉で説得するように見せて、その妖気とまなざしで相手を圧倒し、害をなすなら自分が相手になると脅すのが目的だった。
「・・・ちっ」
 自慢の膂力でも片腕で止められたことに衝撃を受けてもいたのだろう。
 あやかしは大人しく背を向けて去った。
 人と違い、あやかしはわかりやすい。
 力ある者が上に立ち、よほどのことがない限りそれに逆らおうなどとは思わない。
 故に瑠璃丸はわかりやすく自分の方が強いと誇示して見せたのだった。
 そして、天邪鬼でもない限り、一度決めたことは必ず守るのが常だ。少なくともあのあやかしはもうこの娘を狙わないだろう。
 当座の危険は去ったと判断して、瑠璃丸はその場から自分も去ろうとした。
 しかし。
「待って」
 息が上がって少しかすれてはいたものの、柔らかな響きをもつ声が瑠璃丸を引きとどめた。
 それは、あやかしに追われ、目の前で尋常ではない受け答えをしているのを見ていたと思えないほど落ち着いた声だった。
 それに微かな驚きを覚えて振り返った瑠璃丸は、しばし言葉を失った。
 雪の上に座りなおした娘は、美しい金の髪と青い瞳をしていたのだ。
 先程は気づかなかったが、風になびくその髪は太陽の光を受けてキラキラと輝いている。
 その初めて見る色に瑠璃丸は目を奪われた。
「あの?」
 振り返ったものの何も言わない瑠璃丸に、娘は小首をかしげて問いかける。
 傾いた首に沿って、金の髪がさらりと流れ落ちる。
「・・・きれいだ」
 ぽつりと呟いて、瑠璃丸はその場に膝をついた。
 人より長く生きているとはいえ、あやかしの尺度で測ればまだまだ子供からやっと成長し始めた程度の年頃といえる。外見も、人で言えば十四、五くらいであるし、精神的にもそのくらいであろう。まだ子供特有の純粋さが多分に残っているのか、瑠璃丸は何も考えずその金色の髪に手を伸ばした。
 娘はあまりにも瑠璃丸が自然に手を伸ばしたものだから、特に身構えることもなくそれを見ていた。
「・・・太陽の、光みたいだ」
 もう一度ぽつりと瑠璃丸が呟く。
「ありがとう」
 にっこりと微笑んだ娘の声に瑠璃丸はやっと我に返って、目を見開くと二、三度瞬きをした。
 本当に、無意識の内に手を伸ばしていたというように自分の手を見つめ、自分の手がそっと包み込んでいる髪を見つめ、そして微笑む娘に視線を移してやっと髪から慌てて手を離す。
「す、すまぬ!無礼を・・・!」
「気にしないで。この髪をほめてもらったのは初めて。貴方もとても綺麗な髪をしているのね。それに、なんて綺麗な、碧の目・・・」
 その声が次第に小さくなり、ぱたりと細い体が雪の上に倒れた。
「おい、どうした?」
 瑠璃丸が声をかけても、起き上がる気配がない。息は荒く、顔色が蒼白になっている。病の身に先程の出来事が負担をかけたに違いない。
 瑠璃丸は一瞬ためらったが、すぐに彼女を抱き上げると背負った。
 そして雪の中を重さなど感じないような足取りで歩き出した。


 小さなその住まいは、岩山の洞に手を入れた瑠璃丸の隠れ家だった。
 風雨をしのげ、火を焚くこともでき、軽い封を施しておけば人に荒らされることもない。
 旅に流れて行くのも悪くないが、冬になったこともあり、ここ数ヵ月はここを拠点にして数日出掛けては帰るような生活を送っていた。
 少し足を伸ばせば村があり、しかしこの辺りは滅多に人が入らない険しさがあり、隠れ住むにはちょうどよかったのだ。
 背負ってきた娘を寝床代わりにしている柔らかな枯れ草の山にそっと横たえると、その上に一枚着物を掛けて、瑠璃丸は手作りのかまどに火をおこし、部屋を暖めた。
 鍋にすくってきた雪を溶かして水を作り、山野草と米を煮込む。
 塩だの味噌だのはさすがに作るのは無理なので、人里で山で採れたものと交換してもらったものだ。
 村人はおそらく瑠璃丸のことを山向こうの猟師とでも思っているのだろう。もとよりのどかな土地柄ゆえか、人々は優しく、人当たりが良い。物々交換にも気前よく応じてくれた。
 そうしているうちに、寝かせていた娘が目を覚ました。
 顔色は良くないが、少し落ち着いたのかゆっくりと体を起こし周りを興味深そうに眺めた。
「気分はどうだ?」
「え、ええ。大丈夫」
 そう言う彼女に、瑠璃丸は畳んで置いておいた着物を無造作に差し出した。
「・・・着物を」
「え?」
「これに着替えたら、その濡れた着物を干せるのだが。あまり冷えては体によくない・・・男物で申し訳ないのだが」
 呆然とする娘に着物を押し付けるように渡すと、瑠璃丸は立ち上がって外へ出た。
 しばらくして娘が呼ぶ声に戻ると、着替えた娘は自分の着物を干し、髪を手ぬぐいで隠している所だった。
「ありがとうございます。そこに干しても良かったかしら?」
「・・・ああ。あの・・・」
「はい?」
「この辺はふもとの村人も足を踏み入れぬ。近づいたら教える。だから、その・・・」
 瑠璃丸はしばし口ごもっていたが、やがて意を決して彼女を見つめた。少し頬が赤くなっている。
「それを隠さないでくれないか」
「それ・・・?髪?」
 頷く瑠璃丸に彼女は微笑んだ。
「命の恩人のお願いでは、断れないわ」
 さらりと手ぬぐいが解かれる。
 薄暗い部屋に、金の光が舞った。
「気味が悪くないかしら?貴方は白い髪と碧の目なのね。あやかしには見慣れた色なの?」
 あやかしに追われて逃げるということは、彼女の目には人には見えぬものが見えているのだろうと想像はついていた。
「やはりな。あんたは・・・人であるのにあやかしを見る目を持っているのだな」
「・・・ええ。見えるだけだけれど。よく言われたわ。あやかしを祓ったり封じる力があればもっと稼げるのに、って」
 彼女は苦笑する。あやかしとわかっていても態度の自然な彼女に瑠璃丸は少し興味が出てきた。
 彼女の前に座ると、じっと見つめた。
「名は?」
「さくら」
「さくら?珍しい髪と目だが、異国から来たのではないのか?」
「母が異国の人なの。金の髪と青い瞳が珍しくて、見世物として旅回りをしてたのだけど、私をが五歳の時に病で死んでしまったわ。その母が好きだったのが桜。最初に覚えたこの国の言葉が桜だったんですって」
「そうか・・・」
「だから、私が生まれたときにさくらと名付けたのよ。この国の、一番美しい花の名だと言って」
 そう言って、さくらは微笑んだ。綺麗なのにどこか寂しげな笑みだ、と瑠璃丸は思った。病の身であることが、儚さを感じさせるのだろうか。
「私も母のように旅回りをしていたのだけど、死病に冒されてしまって。もう先が長くないと思ったら無性にどこかへ行きたくなって・・・逃げてきたの」
 さらりと言うが、見世物として連れられていたのなら、逃げるのは容易ではなかっただろう。だが、さくらはその一言で終わらせ、それ以上は語らなかった。
 瑠璃丸も無理に聞きだすつもりはなかった。
 もって数日。
 その余命でどうしたいのか、その方が気になった。
「行くあては?」
 問う瑠璃丸に、さくらは微笑んだまま黙って首を横に振った。
「ならば・・・ここにいればいい」
 瑠璃丸は考える前にそう言っていた。
「え?」
「ここならば誰にも邪魔はされぬ。追っても来ぬだろうし、あやかしも近寄らせぬ。その・・・俺が嫌でなければ、だが・・・」
 少しうつむき気味に言って、瑠璃丸は彼女の表情をうかがった。上目遣いの何かをねだる子供のようなその表情に、さくらの笑みが少し明るいものになる。
「甘えても・・・いいかしら?」
「あ・・・ああ」
 瑠璃丸は嬉しげに頷いた。
「俺は瑠璃丸。犬神だ。不便があったらなんでも言ってくれ」
「ええ」
 こうして、彼女は瑠璃丸の元に留まることとなった。

【弐へ】


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【壱へ】

 さくらの病は、もう先はないほどに進んでいた。
 瑠璃丸には病の種類などわからなかったが、あやかしであるが故か、それが彼女の体を蝕んでおり、もう命数が尽きかけているのは痛いほどわかった。
 熱が下がらない彼女のために雪を溶かして冷たい水を作り、手ぬぐいを冷やしては額に置く。
 口当たりのよいものをつくり、食べさせてやる。
 少し落ち着いている日には、互いの話をした。
 さくらが来てから雪に降り込められる日が数日続いていたが、少しも退屈だと感じなかった。
「じゃあ、瑠璃丸は人に育てられたのね?」
「ああ。師匠は娘を持つ浪人者だった。母親はおらず、娘が幼い時は俺も世話を手伝った」
「わかるわ。瑠璃丸は世話が上手だもの。私もすっかり甘えてしまっているわね。でも、料理は苦手?」
 瑠璃丸が作るものはあまり種類が多くない。たいてい米や食べられる野草を一緒に煮込んだものと、芋などを焼いただけである。みかねたさくらが少しだけ味付けに口を出すとあまりにも味が良くなったので、その違いに瑠璃丸は驚いて妖術でも使ったのかと聞いたほどだった。
 それを思い出してけらけらと笑うさくらに、瑠璃丸の頬が赤くなる。
「からかうな。これでも五十年は生きている」
 むっとする瑠璃丸に、さくらはまた笑う。
 瑠璃丸は、その笑顔を少し目を細めて眩しそうに眺めた。
 痩せて顔色が良くなくても、もう消え入りそうな命でも、さくらは微笑んでいた。そして、笑っているさくらは、金の髪、蒼い瞳が輝いて、綺麗だった。目が離せないほどに。
「さくらはよく笑うな」
 瑠璃丸がそう言うと、さくらは頷いた。
「だって、本当に楽しいもの。・・・私ね、貴方にとても感謝してる」
「あやかしと一緒にいるのにか?」
「そうよ。貴方のおかげで、私は、多分今一番生きているんだわ」
「生きている?」
「ええ。一番好きなように生きている。それにね、私、貴方があやかしでよかったと思っているの。きっと貴方には病はうつらない。だから誰かのそばで死にたいなんて甘えたことを言える。一人で死ぬのは、本当は少し怖かったから」
 うつむくさくらの手に、雫がぽたりと落ちた。瑠璃丸の鼻に、涙の匂いが届く。
 怖くないわけがないのだ、と瑠璃丸は胸を突かれた。自分の迂闊さを呪い、隠していた涙を目の当たりにして胸が痛くなるのを感じる。
 手を伸ばそうとして引っ込め、ぐっと拳を握りこむ。
 長い生を持ち、人ですらない自分にその資格はないと思ったのだ。
 だが。
「本当は死にたくない。捕らわれたままで、荷車の中から切り取られた景色だけしか見たことがなくて、それが私の普通だったけれど、逃げて初めて広い世界を見たらもっと見たくなったの。まだ、何も知らないことを知ってしまったの・・・」
 さくらの声が震えていた。
 ずっとそうして生きていたのだろう。声を押し殺して泣くのをこらえようとしている痩せた肩を、瑠璃丸は我慢できずに抱き寄せた。
 さくらの顔を自分の肩に押し付け、赤子をあやすように背中をぽんぽんと叩く。
 そばにいるのに一人にしておくことはできなかった。
「泣いていい。今は泣く自由がある」
 瑠璃丸が優しく言うと、さくらは瑠璃丸にしがみつき、やっと声を上げて泣いた。
 その涙をすべて受け止めたいと瑠璃丸は思った。
 だからずっと彼女を抱きしめ、あとは何も言わず、思うまま泣かせた。
 泣いて、泣いて、やがて静かにしゃくりをあげるだけになったさくらの金色の髪を撫でながら、瑠璃丸はぽつりと言った。
「桜を見に行こう」
「桜を?瑠璃丸と?」
「ああ。どこへでも俺が連れて行く。一緒に見に行こう。桜の花びらが降り注いでこの髪を彩ったら、きっと綺麗だ」
「そうかしら。でも、そうね。貴方の白い髪にも桜の薄紅が似合いそうだわ」
 うっとりとさくらは言って、やっと瑠璃丸の肩から顔を上げた。
 二人だけの秘密を持った子供のように、目を見合わせてかすかに笑う。
 そしてどちらともなく小指を差し出し、小声で指切りをした。
「約束・・・そういえば、私、約束なんてするの初めてだわ。うれしいものね」
「そうか」
「ええ。不思議ね。もう死ぬかもしれないと思ったとき、どうしても外を見たくなったの。それは、貴方に会うためだったのかもしれない・・・」
「さくら」
「ねえ、瑠璃丸。貴方、どうして私を連れてきたの?」
「それは・・・」
「それは?」
 聞き返すさくらに、瑠璃丸はがばりとさくらをからだから引き剥がし、顔を真っ赤にして背を向けた。
「・・・寝ろ」
「ケチ」
 ふわりと瑠璃丸の背に桜が頬を寄せた。
 先ほどまでの子供が支えを求めるようなしがみつき方とは違う、ふわりと柔らかい感触に固まる瑠璃丸の耳に、桜の声が聞こえる。
「最期に・・・貴方と出会えてよかった」
「さくら?」
「ねえ、瑠璃丸。お願いがあるの」
「なんだ?」
「外が、見たいわ。お願い。外へ連れて行って」
「しかし、外は雪が」
「わかるでしょう?お願い」
 そう言う桜の指が、するりと背を滑って落ちた。
 振り返った瑠璃丸の目に、後ろに倒れていくさくらの姿が飛び込んできた。
「さくら!」
 体を支えると、青い瞳がまっすぐに瑠璃丸を見つめていた。
 狭い部屋で死ぬのは嫌。
 そう言われた気がして、瑠璃丸はうなずいた。
 せめてもと綿入れを着せたさくらを横抱きに抱き上げ、外へ連れ出す。
 雪はちらちらと舞う程度だった。
 少し歩いて崖の上に来ると、麓が見渡せた。
 もう雪は少なくなり、緑が見え始めているのがわかる。それを風に舞い踊る髪を押さえて、さくらはまぶしそうに見ていた。
「もう春なのね。・・・いつかあの向こうまで、貴方と旅してみたいわ。桜も、蛍も、海も、紅葉も。言葉でしか知らないようなものを全部見てみたい」
「どこへでも連れて行ってやる。そう約束した」
「そうね」
 うれしげに彼方を見つめるさくらを降ろすと、瑠璃丸は犬神の姿に戻った。白い毛に覆われた体と尻尾で彼女を包み込む。
「これが貴方の本当の姿なのね」
「怖くはないか?」
「いいえ、とても綺麗。それにあたたかいわ」
 大きな体に身を預けて、さくらは微笑んだ。
「ねえ、瑠璃丸。約束をありがとう。優しさをありがとう。貴方はきっと悲しんでくれる。でも、それすらも私にはうれしいの。もう一人じゃないって思えるから」
「さくら・・・」
「貴方はきっとずっと長く生きるわね。時々は・・・私を思い出してね」
「忘れない。人は生まれ変わるのだろう?いつかもう一度生まれてきたら、きっと見つけてやる。そして約束を果たすんだ。だからさくらも忘れずにもう一度生まれて来い」
「・・・ええ・・・約束よ・・・」
 さくらは手をそっとはらはらと降ってくる雪に差し伸べた。
「桜みたい。これも、綺麗・・・ね・・・」
 そして、その手がぱたりと落ちた。
「・・・さくら?」
 瑠璃丸は人の姿に戻って、その体を抱きしめた。
「さくら・・・」
 瑠璃丸は呟いた。
 金の髪を、白い頬を、そっと撫でる。
 あんな他愛ない、果たせもしない約束ひとつで喜ぶのなら、この気持ちを素直に言えばよかったと思った。
 魅入られたのは、金の髪ではない。
 青い瞳ではない。
 彼女だからだったのだと。
 その必死に生きる姿や、死を前にしても笑える強さや優しさが彼女を特別に見せていたのだ。
 彼女が彼女だから、魅入られたのだ。
 最初の、その瞬間から、好きだったのだ。自分は。
 じわじわと後悔が身を苛む。
 人の死は、いつも悲しみと共に後悔を連れてくる。
 惜しんだ言葉を、できなかった行為を、あとからあとから思い出す。
「・・・いつか・・・」
 雪の欠片が桜の花吹雪のように舞い踊り、さくらの髪を彩る。
 体温の薄れていく頬に落ちては溶けていく儚さが、消えていく彼女の命そのもののようで、瑠璃丸の目に涙が溢れた。
「・・・いつか一緒に桜を見よう。待っているから・・・必ず」
 その冬最後の雪が、二人を覆い隠すように強さを増していった。


「何ぼーっとしてんだ?翡翠と凛音は先に屋台に行っちまったぞ」
 声をかけられて我に返ると、琥珀が少し心配そうに顔を覗き込んでいた。
 消えていた音が一気に戻ってきて、瑠璃丸は目を瞬いた。
「ああ・・・いや・・・」
 そういえば花見に来たのだった、と今更ながらに思い出す。
 猫又の翡翠と妖狐の琥珀、そして半龍の凛音とともに花見に来たのだ。
 江戸の時代は遠くなり、色々な時代が目の前を過ぎ去っても、桜を愛でる習慣は変わらない。人々は春になると引き寄せられるように桜を見に集まり、浮かれ騒ぐ。
「・・・なんでもない」
 余り大きくない声で返事をして、瑠璃丸は桜並木の下を歩き出した。
 桜を見るのは胸が痛む。だが、同時にその時だけは彼女がそばにいるような気がして、毎年見ずにはいられないのだ。
「・・・今年も綺麗に咲いたな」
 そう呟いた時だった。
 ざあっと急に強い風が吹きぬけた。誰もが思わず目を閉じ顔をかばった中で、瑠璃丸は目を大きく見開いていた。
 桜吹雪の舞い散るその向こうに、金色の髪の女性が立っていた。
 どくりと瑠璃丸の心臓が高鳴った。
 思わず歩み寄る。
 そしてその青い瞳が自分に微笑みかけるのを見て、泣き出すのをこらえるように奥歯をかみ締めた。
「白い髪、碧の瞳・・・ずっと貴方を夢に見ていたわ」
 彼女はそう言うと、そっと手を伸ばして瑠璃丸の束ねた髪に触れる。まるで、本物であることを確かめるように。
「記憶もないのに、桜の中で貴方と笑いあう夢を何度も、何度も。だから、日本に来なきゃって・・・桜を見に来なきゃって・・・ずっと、そう思って・・・」
 今の彼女にきっとあの時の記憶はないだろう。それでも魂に刻まれた約束が、彼女をここまで連れてきたのだ。それだけ、彼女はあの約束を大事に大事に胸にしまって、もう一度生まれて来てくれたのだ。
 こらえきれずに手を伸ばし、抱き寄せる。
 彼女は驚いたのか息を飲んだが、抵抗はしなかった。
「会いたかった」
 万感の思いを込めて、囁く。
「私もよ」
 そっと彼女の手が自分の背に回るのを感じ、瑠璃丸は目を閉じた。
 その頬を、涙が一粒伝った。


 一緒にいろんなものを見よう。
 どこまでも一緒に行こう。
 共に。


-終-

桜の話と言いつつ、ほとんどが冬、しかもほんの数日の話で申し訳ありませんでした。
たったこれだけの話ですが、実は去年のクリスマス頃からずっと悩んで書いていたのでした。
遅筆過ぎる・・・。
書いているときに頭の中を流れている歌は先のない感じだったのですが、どうしても悲恋で終わるのは嫌だったので、こういうラストになりました。
ご都合主義じゃん、と思う方もいるかもしれませんが、こういうものしか書けないと思ってやってくださいませ。
現代のさくらはあの夢以外に昔の記憶を持っていません。
いろいろ悩むところもあるでしょうが、それも生きているから。
頑張れ(作者、丸投げ)。
実際にはたぶん、さくらは朗らかで行動力があると思うので、大丈夫です。きっとうまくやっていけます。
ここまでお付き合いありがとうございました。

2012年3月17日 久遠・拝

【壱へ】


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【702】

「瓦版屋!」
 呼ばれて振り向くと、そこにずいぶんべっぴんの娘が立っていた。
 だが、酔狂なことに娘は若い武者の格好をして、腰に刀まで差している。町娘ならこんな格好はしない。武家の、しかもある程度裕福で、嫁にいくことを急かされていない娘だろうと俺はあたりをつける。
 商売がら、なんにでもついそうやって探る癖がついている。
「何かご用で?」
 娘は先程まで俺が配っていた瓦版を、問うた俺の目の前につきだした。
 ある長屋で起きた神隠しのねただ。いなくなったのは、半年前に越してきた浪人。残されていたのは紅葉の彫り込まれた小柄(こづか)とそれに縫いとめられた一枚のお札。血の跡もなく、多少部屋は荒れていたものの物盗りでもないらしいということで、神隠しではないかと俺が書いたものだ。
「ここに書かれていることは真実か?」
「瓦版屋を捕まえて真実かと問いますかえ?」
 多少の誇張はあるにせよ、基本は真実だ。ましてや俺は同心の旦那と顔馴染みだ。情報源はお墨付きだぜ。
「仮名草紙を売ってるつもりはありませんぜ?事実しか書いちゃいませんや」
「では、この紅葉の小柄のことも」
「疑うなら、八丁堀の同心の旦那にお聞きなせえよ」
 うんざりと返事をしたときだった。
 娘は急に俺に駆け寄ると、両の二の腕をがしりとつかんだ。
 剣術をやっているからか、力はひどく強い。
「あいててて!」
 思わず声をあげた俺に驚いて娘は手を離すと、自らを落ち着かせようとしたのか、深呼吸をした。
 そしてもう一度俺に向き合うと、今度はしっかりと目を見た。
「私をその長屋に連れていってはもらえぬだろうか」
「へ?浪人さんの縁者でいらっしゃるんで?」
 俺の言葉には答えず、娘は深く頭を下げた。
「頼む!」
「・・・まあ、それぐらいならさしてもらいますがね」
 娘の顔が明るくなった。笑うと結構可愛らしいねえ。
「ありがとう!恩に着る!」
「へえ、まあ、使い賃は、いろいろ話していただくってことで」
「何?」
 俺の言葉に目を見開いた娘に、俺はにやりと笑って見せた。
 瓦版屋をなめちゃいけねえやな。

 件の長屋に向かう道すがら、娘は嫌々だろうが少しだけ話をした。
 浪人は家を出た兄ではないかと思っているのだという。
「兄は紅葉の小柄を持っていた」
「はあ、小柄は奉行所ですぜ?」
「いや、兄がいた場所を見たいのだ」
「左様で。ああ、こちらですよ」
 それはありふれた長屋だ。井戸の所には神隠しを調べるうちに仲良くなった女衆が今日も喋っている。
「あれ、瓦版屋さんじゃないの」
「久しぶり」
 これでも受けはいい方だ。愛想よく挨拶して、俺は浪人がすんでいた部屋の戸を開けた。
 まだ道具が残っている。一振りだけだが刀すら。
 前に人のいい大家が半年くらいは待ってみると言っていたのを思い出す。畳には小柄の刺さっていた跡が残っている。
「道具はそのままだそうですぜ?どうです?お兄さんですかえ?」
 同心の旦那は身元がわからないと言っていたし、これでわかれば旦那に恩が売れるよな、と思っていた俺は、次の瞬間、驚いて息を止めた。
 娘の姿が陽炎のように揺らいでいる。
 髪がうねり、瞳は紅く輝いている。
「兄上!お迎えに上がりました!札を避けられたなら、まだここにおられるのでしょう?」
「・・・昼日中に呼びおって。もうここには居られぬではないか」
 若い男の声がした。
 刀がぼんやりと輝いたかと思うと、形を失い、人の形になった。
 娘によく似た、若い男だ。
 それを見る娘の瞳から涙がこぼれ落ちたのを見て、探していたのは彼なのだと理解する。
「祓い屋の目をくらますために深い眠りにつかれたのはわかっておりました。私が呼び覚まさねばならぬと思い、お探ししておりました」
 そして俺の方を見て、娘は深々と礼をした。
「巻き込んですまない。許されよ」
 声が終わらぬうちに、首の後ろに衝撃を感じる。すうっと意識が遠ざかる。気を失う寸前、娘が頭を下げたのが見えた気がした。

 気がつくと、俺は番屋に寝かされていた。
「おう、起きたか。命があってよかったな」
 旦那は笑って茶を入れてくれた。
 聞けば、なかなか出てこないことを不審に思ったおかみさんたちが覗き込むと、俺だけが倒れていて一緒に来た女の姿はなかったのだという。
「刀がなくなっておってな。物盗りの女だったんだろう。口を封じられなくて運がよかったんだぜ」
「ご迷惑おかけしました」
「ああ、気にすんな。今日はさっさと寝ちまいな」
「そうさせてもらいやす」
 茶を飲み干して俺は立ち上がった。
 外に出ると、息が白くなる。
 真相はわかった。だが、瓦版にゃ書けねえなあ、と俺はため息をついた。
 あまりに荒唐無稽な事実は、作り物だと思われて今後の商売に支障をきたす。
「ははっ、結局丸損だな」
 まあ、たまにはそんな体験も悪くねえさ。
 べっぴんのあやかしは恩返しに来るだろうか?などとつらつら考えながら、俺は家路についた。


お題:「瓦版」、「小柄」、「武家」で創作しましょう。 #jidaiodai http://shindanmaker.com/138578
瓦版屋の長い一日(ほとんど気を失っていた時間w)
小柄は、手の中指の先から手首くらいの長さの小さな刃物です。時々時代劇でお侍が悪人に投げますね。
瓦版の内容の真偽については、想像です。
うちの瓦版屋がこんな風なだけかもしれません(^^;


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