宵月楼-しょうげつろう-
あやかし風味。ミステリー皆無。恋愛要素多少混入。
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【壱へ】
さくらの病は、もう先はないほどに進んでいた。
瑠璃丸には病の種類などわからなかったが、あやかしであるが故か、それが彼女の体を蝕んでおり、もう命数が尽きかけているのは痛いほどわかった。
熱が下がらない彼女のために雪を溶かして冷たい水を作り、手ぬぐいを冷やしては額に置く。
口当たりのよいものをつくり、食べさせてやる。
少し落ち着いている日には、互いの話をした。
さくらが来てから雪に降り込められる日が数日続いていたが、少しも退屈だと感じなかった。
「じゃあ、瑠璃丸は人に育てられたのね?」
「ああ。師匠は娘を持つ浪人者だった。母親はおらず、娘が幼い時は俺も世話を手伝った」
「わかるわ。瑠璃丸は世話が上手だもの。私もすっかり甘えてしまっているわね。でも、料理は苦手?」
瑠璃丸が作るものはあまり種類が多くない。たいてい米や食べられる野草を一緒に煮込んだものと、芋などを焼いただけである。みかねたさくらが少しだけ味付けに口を出すとあまりにも味が良くなったので、その違いに瑠璃丸は驚いて妖術でも使ったのかと聞いたほどだった。
それを思い出してけらけらと笑うさくらに、瑠璃丸の頬が赤くなる。
「からかうな。これでも五十年は生きている」
むっとする瑠璃丸に、さくらはまた笑う。
瑠璃丸は、その笑顔を少し目を細めて眩しそうに眺めた。
痩せて顔色が良くなくても、もう消え入りそうな命でも、さくらは微笑んでいた。そして、笑っているさくらは、金の髪、蒼い瞳が輝いて、綺麗だった。目が離せないほどに。
「さくらはよく笑うな」
瑠璃丸がそう言うと、さくらは頷いた。
「だって、本当に楽しいもの。・・・私ね、貴方にとても感謝してる」
「あやかしと一緒にいるのにか?」
「そうよ。貴方のおかげで、私は、多分今一番生きているんだわ」
「生きている?」
「ええ。一番好きなように生きている。それにね、私、貴方があやかしでよかったと思っているの。きっと貴方には病はうつらない。だから誰かのそばで死にたいなんて甘えたことを言える。一人で死ぬのは、本当は少し怖かったから」
うつむくさくらの手に、雫がぽたりと落ちた。瑠璃丸の鼻に、涙の匂いが届く。
怖くないわけがないのだ、と瑠璃丸は胸を突かれた。自分の迂闊さを呪い、隠していた涙を目の当たりにして胸が痛くなるのを感じる。
手を伸ばそうとして引っ込め、ぐっと拳を握りこむ。
長い生を持ち、人ですらない自分にその資格はないと思ったのだ。
だが。
「本当は死にたくない。捕らわれたままで、荷車の中から切り取られた景色だけしか見たことがなくて、それが私の普通だったけれど、逃げて初めて広い世界を見たらもっと見たくなったの。まだ、何も知らないことを知ってしまったの・・・」
さくらの声が震えていた。
ずっとそうして生きていたのだろう。声を押し殺して泣くのをこらえようとしている痩せた肩を、瑠璃丸は我慢できずに抱き寄せた。
さくらの顔を自分の肩に押し付け、赤子をあやすように背中をぽんぽんと叩く。
そばにいるのに一人にしておくことはできなかった。
「泣いていい。今は泣く自由がある」
瑠璃丸が優しく言うと、さくらは瑠璃丸にしがみつき、やっと声を上げて泣いた。
その涙をすべて受け止めたいと瑠璃丸は思った。
だからずっと彼女を抱きしめ、あとは何も言わず、思うまま泣かせた。
泣いて、泣いて、やがて静かにしゃくりをあげるだけになったさくらの金色の髪を撫でながら、瑠璃丸はぽつりと言った。
「桜を見に行こう」
「桜を?瑠璃丸と?」
「ああ。どこへでも俺が連れて行く。一緒に見に行こう。桜の花びらが降り注いでこの髪を彩ったら、きっと綺麗だ」
「そうかしら。でも、そうね。貴方の白い髪にも桜の薄紅が似合いそうだわ」
うっとりとさくらは言って、やっと瑠璃丸の肩から顔を上げた。
二人だけの秘密を持った子供のように、目を見合わせてかすかに笑う。
そしてどちらともなく小指を差し出し、小声で指切りをした。
「約束・・・そういえば、私、約束なんてするの初めてだわ。うれしいものね」
「そうか」
「ええ。不思議ね。もう死ぬかもしれないと思ったとき、どうしても外を見たくなったの。それは、貴方に会うためだったのかもしれない・・・」
「さくら」
「ねえ、瑠璃丸。貴方、どうして私を連れてきたの?」
「それは・・・」
「それは?」
聞き返すさくらに、瑠璃丸はがばりとさくらをからだから引き剥がし、顔を真っ赤にして背を向けた。
「・・・寝ろ」
「ケチ」
ふわりと瑠璃丸の背に桜が頬を寄せた。
先ほどまでの子供が支えを求めるようなしがみつき方とは違う、ふわりと柔らかい感触に固まる瑠璃丸の耳に、桜の声が聞こえる。
「最期に・・・貴方と出会えてよかった」
「さくら?」
「ねえ、瑠璃丸。お願いがあるの」
「なんだ?」
「外が、見たいわ。お願い。外へ連れて行って」
「しかし、外は雪が」
「わかるでしょう?お願い」
そう言う桜の指が、するりと背を滑って落ちた。
振り返った瑠璃丸の目に、後ろに倒れていくさくらの姿が飛び込んできた。
「さくら!」
体を支えると、青い瞳がまっすぐに瑠璃丸を見つめていた。
狭い部屋で死ぬのは嫌。
そう言われた気がして、瑠璃丸はうなずいた。
せめてもと綿入れを着せたさくらを横抱きに抱き上げ、外へ連れ出す。
雪はちらちらと舞う程度だった。
少し歩いて崖の上に来ると、麓が見渡せた。
もう雪は少なくなり、緑が見え始めているのがわかる。それを風に舞い踊る髪を押さえて、さくらはまぶしそうに見ていた。
「もう春なのね。・・・いつかあの向こうまで、貴方と旅してみたいわ。桜も、蛍も、海も、紅葉も。言葉でしか知らないようなものを全部見てみたい」
「どこへでも連れて行ってやる。そう約束した」
「そうね」
うれしげに彼方を見つめるさくらを降ろすと、瑠璃丸は犬神の姿に戻った。白い毛に覆われた体と尻尾で彼女を包み込む。
「これが貴方の本当の姿なのね」
「怖くはないか?」
「いいえ、とても綺麗。それにあたたかいわ」
大きな体に身を預けて、さくらは微笑んだ。
「ねえ、瑠璃丸。約束をありがとう。優しさをありがとう。貴方はきっと悲しんでくれる。でも、それすらも私にはうれしいの。もう一人じゃないって思えるから」
「さくら・・・」
「貴方はきっとずっと長く生きるわね。時々は・・・私を思い出してね」
「忘れない。人は生まれ変わるのだろう?いつかもう一度生まれてきたら、きっと見つけてやる。そして約束を果たすんだ。だからさくらも忘れずにもう一度生まれて来い」
「・・・ええ・・・約束よ・・・」
さくらは手をそっとはらはらと降ってくる雪に差し伸べた。
「桜みたい。これも、綺麗・・・ね・・・」
そして、その手がぱたりと落ちた。
「・・・さくら?」
瑠璃丸は人の姿に戻って、その体を抱きしめた。
「さくら・・・」
瑠璃丸は呟いた。
金の髪を、白い頬を、そっと撫でる。
あんな他愛ない、果たせもしない約束ひとつで喜ぶのなら、この気持ちを素直に言えばよかったと思った。
魅入られたのは、金の髪ではない。
青い瞳ではない。
彼女だからだったのだと。
その必死に生きる姿や、死を前にしても笑える強さや優しさが彼女を特別に見せていたのだ。
彼女が彼女だから、魅入られたのだ。
最初の、その瞬間から、好きだったのだ。自分は。
じわじわと後悔が身を苛む。
人の死は、いつも悲しみと共に後悔を連れてくる。
惜しんだ言葉を、できなかった行為を、あとからあとから思い出す。
「・・・いつか・・・」
雪の欠片が桜の花吹雪のように舞い踊り、さくらの髪を彩る。
体温の薄れていく頬に落ちては溶けていく儚さが、消えていく彼女の命そのもののようで、瑠璃丸の目に涙が溢れた。
「・・・いつか一緒に桜を見よう。待っているから・・・必ず」
その冬最後の雪が、二人を覆い隠すように強さを増していった。
「何ぼーっとしてんだ?翡翠と凛音は先に屋台に行っちまったぞ」
声をかけられて我に返ると、琥珀が少し心配そうに顔を覗き込んでいた。
消えていた音が一気に戻ってきて、瑠璃丸は目を瞬いた。
「ああ・・・いや・・・」
そういえば花見に来たのだった、と今更ながらに思い出す。
猫又の翡翠と妖狐の琥珀、そして半龍の凛音とともに花見に来たのだ。
江戸の時代は遠くなり、色々な時代が目の前を過ぎ去っても、桜を愛でる習慣は変わらない。人々は春になると引き寄せられるように桜を見に集まり、浮かれ騒ぐ。
「・・・なんでもない」
余り大きくない声で返事をして、瑠璃丸は桜並木の下を歩き出した。
桜を見るのは胸が痛む。だが、同時にその時だけは彼女がそばにいるような気がして、毎年見ずにはいられないのだ。
「・・・今年も綺麗に咲いたな」
そう呟いた時だった。
ざあっと急に強い風が吹きぬけた。誰もが思わず目を閉じ顔をかばった中で、瑠璃丸は目を大きく見開いていた。
桜吹雪の舞い散るその向こうに、金色の髪の女性が立っていた。
どくりと瑠璃丸の心臓が高鳴った。
思わず歩み寄る。
そしてその青い瞳が自分に微笑みかけるのを見て、泣き出すのをこらえるように奥歯をかみ締めた。
「白い髪、碧の瞳・・・ずっと貴方を夢に見ていたわ」
彼女はそう言うと、そっと手を伸ばして瑠璃丸の束ねた髪に触れる。まるで、本物であることを確かめるように。
「記憶もないのに、桜の中で貴方と笑いあう夢を何度も、何度も。だから、日本に来なきゃって・・・桜を見に来なきゃって・・・ずっと、そう思って・・・」
今の彼女にきっとあの時の記憶はないだろう。それでも魂に刻まれた約束が、彼女をここまで連れてきたのだ。それだけ、彼女はあの約束を大事に大事に胸にしまって、もう一度生まれて来てくれたのだ。
こらえきれずに手を伸ばし、抱き寄せる。
彼女は驚いたのか息を飲んだが、抵抗はしなかった。
「会いたかった」
万感の思いを込めて、囁く。
「私もよ」
そっと彼女の手が自分の背に回るのを感じ、瑠璃丸は目を閉じた。
その頬を、涙が一粒伝った。
一緒にいろんなものを見よう。
どこまでも一緒に行こう。
共に。
-終-
桜の話と言いつつ、ほとんどが冬、しかもほんの数日の話で申し訳ありませんでした。
たったこれだけの話ですが、実は去年のクリスマス頃からずっと悩んで書いていたのでした。
遅筆過ぎる・・・。
書いているときに頭の中を流れている歌は先のない感じだったのですが、どうしても悲恋で終わるのは嫌だったので、こういうラストになりました。
ご都合主義じゃん、と思う方もいるかもしれませんが、こういうものしか書けないと思ってやってくださいませ。
現代のさくらはあの夢以外に昔の記憶を持っていません。
いろいろ悩むところもあるでしょうが、それも生きているから。
頑張れ(作者、丸投げ)。
実際にはたぶん、さくらは朗らかで行動力があると思うので、大丈夫です。きっとうまくやっていけます。
ここまでお付き合いありがとうございました。
2012年3月17日 久遠・拝
【壱へ】
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さくらの病は、もう先はないほどに進んでいた。
瑠璃丸には病の種類などわからなかったが、あやかしであるが故か、それが彼女の体を蝕んでおり、もう命数が尽きかけているのは痛いほどわかった。
熱が下がらない彼女のために雪を溶かして冷たい水を作り、手ぬぐいを冷やしては額に置く。
口当たりのよいものをつくり、食べさせてやる。
少し落ち着いている日には、互いの話をした。
さくらが来てから雪に降り込められる日が数日続いていたが、少しも退屈だと感じなかった。
「じゃあ、瑠璃丸は人に育てられたのね?」
「ああ。師匠は娘を持つ浪人者だった。母親はおらず、娘が幼い時は俺も世話を手伝った」
「わかるわ。瑠璃丸は世話が上手だもの。私もすっかり甘えてしまっているわね。でも、料理は苦手?」
瑠璃丸が作るものはあまり種類が多くない。たいてい米や食べられる野草を一緒に煮込んだものと、芋などを焼いただけである。みかねたさくらが少しだけ味付けに口を出すとあまりにも味が良くなったので、その違いに瑠璃丸は驚いて妖術でも使ったのかと聞いたほどだった。
それを思い出してけらけらと笑うさくらに、瑠璃丸の頬が赤くなる。
「からかうな。これでも五十年は生きている」
むっとする瑠璃丸に、さくらはまた笑う。
瑠璃丸は、その笑顔を少し目を細めて眩しそうに眺めた。
痩せて顔色が良くなくても、もう消え入りそうな命でも、さくらは微笑んでいた。そして、笑っているさくらは、金の髪、蒼い瞳が輝いて、綺麗だった。目が離せないほどに。
「さくらはよく笑うな」
瑠璃丸がそう言うと、さくらは頷いた。
「だって、本当に楽しいもの。・・・私ね、貴方にとても感謝してる」
「あやかしと一緒にいるのにか?」
「そうよ。貴方のおかげで、私は、多分今一番生きているんだわ」
「生きている?」
「ええ。一番好きなように生きている。それにね、私、貴方があやかしでよかったと思っているの。きっと貴方には病はうつらない。だから誰かのそばで死にたいなんて甘えたことを言える。一人で死ぬのは、本当は少し怖かったから」
うつむくさくらの手に、雫がぽたりと落ちた。瑠璃丸の鼻に、涙の匂いが届く。
怖くないわけがないのだ、と瑠璃丸は胸を突かれた。自分の迂闊さを呪い、隠していた涙を目の当たりにして胸が痛くなるのを感じる。
手を伸ばそうとして引っ込め、ぐっと拳を握りこむ。
長い生を持ち、人ですらない自分にその資格はないと思ったのだ。
だが。
「本当は死にたくない。捕らわれたままで、荷車の中から切り取られた景色だけしか見たことがなくて、それが私の普通だったけれど、逃げて初めて広い世界を見たらもっと見たくなったの。まだ、何も知らないことを知ってしまったの・・・」
さくらの声が震えていた。
ずっとそうして生きていたのだろう。声を押し殺して泣くのをこらえようとしている痩せた肩を、瑠璃丸は我慢できずに抱き寄せた。
さくらの顔を自分の肩に押し付け、赤子をあやすように背中をぽんぽんと叩く。
そばにいるのに一人にしておくことはできなかった。
「泣いていい。今は泣く自由がある」
瑠璃丸が優しく言うと、さくらは瑠璃丸にしがみつき、やっと声を上げて泣いた。
その涙をすべて受け止めたいと瑠璃丸は思った。
だからずっと彼女を抱きしめ、あとは何も言わず、思うまま泣かせた。
泣いて、泣いて、やがて静かにしゃくりをあげるだけになったさくらの金色の髪を撫でながら、瑠璃丸はぽつりと言った。
「桜を見に行こう」
「桜を?瑠璃丸と?」
「ああ。どこへでも俺が連れて行く。一緒に見に行こう。桜の花びらが降り注いでこの髪を彩ったら、きっと綺麗だ」
「そうかしら。でも、そうね。貴方の白い髪にも桜の薄紅が似合いそうだわ」
うっとりとさくらは言って、やっと瑠璃丸の肩から顔を上げた。
二人だけの秘密を持った子供のように、目を見合わせてかすかに笑う。
そしてどちらともなく小指を差し出し、小声で指切りをした。
「約束・・・そういえば、私、約束なんてするの初めてだわ。うれしいものね」
「そうか」
「ええ。不思議ね。もう死ぬかもしれないと思ったとき、どうしても外を見たくなったの。それは、貴方に会うためだったのかもしれない・・・」
「さくら」
「ねえ、瑠璃丸。貴方、どうして私を連れてきたの?」
「それは・・・」
「それは?」
聞き返すさくらに、瑠璃丸はがばりとさくらをからだから引き剥がし、顔を真っ赤にして背を向けた。
「・・・寝ろ」
「ケチ」
ふわりと瑠璃丸の背に桜が頬を寄せた。
先ほどまでの子供が支えを求めるようなしがみつき方とは違う、ふわりと柔らかい感触に固まる瑠璃丸の耳に、桜の声が聞こえる。
「最期に・・・貴方と出会えてよかった」
「さくら?」
「ねえ、瑠璃丸。お願いがあるの」
「なんだ?」
「外が、見たいわ。お願い。外へ連れて行って」
「しかし、外は雪が」
「わかるでしょう?お願い」
そう言う桜の指が、するりと背を滑って落ちた。
振り返った瑠璃丸の目に、後ろに倒れていくさくらの姿が飛び込んできた。
「さくら!」
体を支えると、青い瞳がまっすぐに瑠璃丸を見つめていた。
狭い部屋で死ぬのは嫌。
そう言われた気がして、瑠璃丸はうなずいた。
せめてもと綿入れを着せたさくらを横抱きに抱き上げ、外へ連れ出す。
雪はちらちらと舞う程度だった。
少し歩いて崖の上に来ると、麓が見渡せた。
もう雪は少なくなり、緑が見え始めているのがわかる。それを風に舞い踊る髪を押さえて、さくらはまぶしそうに見ていた。
「もう春なのね。・・・いつかあの向こうまで、貴方と旅してみたいわ。桜も、蛍も、海も、紅葉も。言葉でしか知らないようなものを全部見てみたい」
「どこへでも連れて行ってやる。そう約束した」
「そうね」
うれしげに彼方を見つめるさくらを降ろすと、瑠璃丸は犬神の姿に戻った。白い毛に覆われた体と尻尾で彼女を包み込む。
「これが貴方の本当の姿なのね」
「怖くはないか?」
「いいえ、とても綺麗。それにあたたかいわ」
大きな体に身を預けて、さくらは微笑んだ。
「ねえ、瑠璃丸。約束をありがとう。優しさをありがとう。貴方はきっと悲しんでくれる。でも、それすらも私にはうれしいの。もう一人じゃないって思えるから」
「さくら・・・」
「貴方はきっとずっと長く生きるわね。時々は・・・私を思い出してね」
「忘れない。人は生まれ変わるのだろう?いつかもう一度生まれてきたら、きっと見つけてやる。そして約束を果たすんだ。だからさくらも忘れずにもう一度生まれて来い」
「・・・ええ・・・約束よ・・・」
さくらは手をそっとはらはらと降ってくる雪に差し伸べた。
「桜みたい。これも、綺麗・・・ね・・・」
そして、その手がぱたりと落ちた。
「・・・さくら?」
瑠璃丸は人の姿に戻って、その体を抱きしめた。
「さくら・・・」
瑠璃丸は呟いた。
金の髪を、白い頬を、そっと撫でる。
あんな他愛ない、果たせもしない約束ひとつで喜ぶのなら、この気持ちを素直に言えばよかったと思った。
魅入られたのは、金の髪ではない。
青い瞳ではない。
彼女だからだったのだと。
その必死に生きる姿や、死を前にしても笑える強さや優しさが彼女を特別に見せていたのだ。
彼女が彼女だから、魅入られたのだ。
最初の、その瞬間から、好きだったのだ。自分は。
じわじわと後悔が身を苛む。
人の死は、いつも悲しみと共に後悔を連れてくる。
惜しんだ言葉を、できなかった行為を、あとからあとから思い出す。
「・・・いつか・・・」
雪の欠片が桜の花吹雪のように舞い踊り、さくらの髪を彩る。
体温の薄れていく頬に落ちては溶けていく儚さが、消えていく彼女の命そのもののようで、瑠璃丸の目に涙が溢れた。
「・・・いつか一緒に桜を見よう。待っているから・・・必ず」
その冬最後の雪が、二人を覆い隠すように強さを増していった。
「何ぼーっとしてんだ?翡翠と凛音は先に屋台に行っちまったぞ」
声をかけられて我に返ると、琥珀が少し心配そうに顔を覗き込んでいた。
消えていた音が一気に戻ってきて、瑠璃丸は目を瞬いた。
「ああ・・・いや・・・」
そういえば花見に来たのだった、と今更ながらに思い出す。
猫又の翡翠と妖狐の琥珀、そして半龍の凛音とともに花見に来たのだ。
江戸の時代は遠くなり、色々な時代が目の前を過ぎ去っても、桜を愛でる習慣は変わらない。人々は春になると引き寄せられるように桜を見に集まり、浮かれ騒ぐ。
「・・・なんでもない」
余り大きくない声で返事をして、瑠璃丸は桜並木の下を歩き出した。
桜を見るのは胸が痛む。だが、同時にその時だけは彼女がそばにいるような気がして、毎年見ずにはいられないのだ。
「・・・今年も綺麗に咲いたな」
そう呟いた時だった。
ざあっと急に強い風が吹きぬけた。誰もが思わず目を閉じ顔をかばった中で、瑠璃丸は目を大きく見開いていた。
桜吹雪の舞い散るその向こうに、金色の髪の女性が立っていた。
どくりと瑠璃丸の心臓が高鳴った。
思わず歩み寄る。
そしてその青い瞳が自分に微笑みかけるのを見て、泣き出すのをこらえるように奥歯をかみ締めた。
「白い髪、碧の瞳・・・ずっと貴方を夢に見ていたわ」
彼女はそう言うと、そっと手を伸ばして瑠璃丸の束ねた髪に触れる。まるで、本物であることを確かめるように。
「記憶もないのに、桜の中で貴方と笑いあう夢を何度も、何度も。だから、日本に来なきゃって・・・桜を見に来なきゃって・・・ずっと、そう思って・・・」
今の彼女にきっとあの時の記憶はないだろう。それでも魂に刻まれた約束が、彼女をここまで連れてきたのだ。それだけ、彼女はあの約束を大事に大事に胸にしまって、もう一度生まれて来てくれたのだ。
こらえきれずに手を伸ばし、抱き寄せる。
彼女は驚いたのか息を飲んだが、抵抗はしなかった。
「会いたかった」
万感の思いを込めて、囁く。
「私もよ」
そっと彼女の手が自分の背に回るのを感じ、瑠璃丸は目を閉じた。
その頬を、涙が一粒伝った。
一緒にいろんなものを見よう。
どこまでも一緒に行こう。
共に。
-終-
桜の話と言いつつ、ほとんどが冬、しかもほんの数日の話で申し訳ありませんでした。
たったこれだけの話ですが、実は去年のクリスマス頃からずっと悩んで書いていたのでした。
遅筆過ぎる・・・。
書いているときに頭の中を流れている歌は先のない感じだったのですが、どうしても悲恋で終わるのは嫌だったので、こういうラストになりました。
ご都合主義じゃん、と思う方もいるかもしれませんが、こういうものしか書けないと思ってやってくださいませ。
現代のさくらはあの夢以外に昔の記憶を持っていません。
いろいろ悩むところもあるでしょうが、それも生きているから。
頑張れ(作者、丸投げ)。
実際にはたぶん、さくらは朗らかで行動力があると思うので、大丈夫です。きっとうまくやっていけます。
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2012年3月17日 久遠・拝
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宵月楼 店主
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自己紹介:
オリジナルの短い文章を書いています。アニメ、ゲーム、小説、マンガ、音楽、手作り、すべてそれなりに広く浅く趣味の範囲で。
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