宵月楼-しょうげつろう-
あやかし風味。ミステリー皆無。恋愛要素多少混入。
[38] [37] [36] [35] [34] [32] [31] [30] [29] [10] [6]
雷鳴とどろく
「雷が怖いのか?」
妖狐の琥珀に問われて、凛音は渋々頷くとその着物にしがみついた。
視線の先にはいかにもおどろおどろしい黒雲が垂れ込め、その低い音は次第に近づいてきているような気がする。
認めたくはなかったが、その音を聞くと体がすくんで動かなくなるのだ。
琥珀は切れ上がった目を線のように細めて笑うと、彼女の小さな手を握って家の中に入った。
灯りを用意し、雨戸をしっかりと立てて部屋を閉め切ると、部屋の隅に座り込んで彼女の小さな体を膝に乗せた。
くしゃりと髪をかき回し、大丈夫だというように二、三回頭を軽く叩く。
そして、思い出したようににやりと笑った。
「そういえば、な」
「なに?」
「翡翠と瑠璃丸も雷が怖いと、よく押入れに隠れやがったもんだ」
「・・・え?」
猫又の翡翠はいつも凛音をからかってばかりいて、怖いものなど何もないという顔をしている。ついさっきも黒雲を見て顔色の変わった凛音を、龍の子供の癖にと鼻で笑ったばかりだ。
そして、犬神の瑠璃丸はどんな時でも動じない性格で、表情を変えたところなど見たことがない。
その二人が、雷が怖くて押入れに隠れるところなど、凛音には想像もつかなかった。
「信じられねえって顔してるな」
「だって、あの翡翠と瑠璃丸が」
「ああ、今じゃあ、いっぱしのあやかしですって顔してやがるがな、あいつらもまだガキの時があったってことだよ。聞きたいか?」
凛音は思い切り頷いた。
雷のことなど頭から綺麗さっぱり抜け落ちてしまっていた。
「またケンカしてやがるのか」
琥珀はため息をついて外に目をやった。
農村の外れにあるあばら家はぽつんと一軒だけ立っているため、家の外はまだまだ幼いあやかしたちには格好の遊び場である。
だが、琥珀が見ると、たいていは取っ組み合いのケンカをしているのだ。
家から出て、ごろごろと団子のように転がる二人を引き離す。
二人とも幼い少年の姿をしているが、夢中になりすぎて耳は毛の生えた獣の耳になっているし、着物の裾からは尻尾がはみ出している。
「また翡翠がどうしようもねえことを言ったんだろう?」
「いつもいつも僕のせいにするの、やめてくれない?」
生意気な口調でそう言ったのは、柔らかい黒い毛に覆われた耳と二股の尻尾を揺らした少年で、ふだんなら褐色に見せかけている瞳も今は緑にらんらんと輝き、縦に虹彩が切れている。
猫又なのだ。
「たいていお前の口が原因だろうが」
「今回は僕は悪くないからね!」
むくれた顔とぶんぶんと振るう尻尾が、そうとう機嫌が悪いことを示している。
琥珀は少し考えて、今度はもう片方に目をやった。
「瑠璃丸?」
名前を呼ばれて、深い紺碧の瞳が真っ直ぐに琥珀を見つめる。
白い毛の生えた耳はぴんと伸び、同じく白いふさふさとした尻尾は微動だにしない。
彼は、犬神であった。
「なにがあった?」
問いかけても彼は答えない。
どうにも無口なたちで、余計なことは一切話さない。そして、恐ろしく頑固だ。
「お前が事情を言わねえと、翡翠の言い分が通っちまうぞ」
「・・・その馬鹿猫が」
ぼそりと零れた声に、翡翠の耳がぴくりと動いた。
「誰が馬鹿猫だって?この頑固犬!」
「ああ、翡翠は黙れ。で?」
怒り狂う翡翠の首根っこをつかんだまま琥珀が促すと、瑠璃丸は頷いた。
「そいつが、俺の尻尾をほうきだとばかにするから」
「お前が先に僕の尻尾を無駄に裂けてるって言ったんじゃないか!」
「せっかくの力を悪戯にばかり使っているから、無駄に裂けていると言ったんだ」
「お前こそ、馬鹿力でどれだけ物を壊してるんだよ!力の無駄遣いってのは、お前みたいな奴のことを言うんだろ!」
もし琥珀が双方を捕まえていなかったら、もう一度取っ組み合いが始まるほどの勢いで、にらみ合う。
琥珀はためいきをついた。
「お前らなあ・・・」
一度説教をしなければならないだろう、と琥珀が口を開いたその時だった。
「・・・ひっ」
同時に息を飲む気配がした。
見れば、二人が空を見上げている。空にはいつの間にか暗雲が広がり、今にも雨が降りそうな気配に琥珀は二人から手を離した。
「雨が来るな。二人とも、とりあえず中に」
入れ。
そう言いかけた琥珀の声を打ち消すように、雷鳴がとどろいた。腹に響く音が空気を震わせる。
そして。
気付けば、二人とも姿を消していた。
いや、音がとどろいた瞬間、本性である犬と猫に戻ったのだ。
黒い子猫と白い子犬が声もなく走り去り、縁側から家に飛び込む。
一直線に押入れにもぐりこんだ彼らを、琥珀は呆れて見送った。
「なんだ、あいつら。雷が怖いのか」
呟くと、苦笑して家に戻る。
押入れを覗き込むと、そこにはさっきまでケンカをしていたはずの二匹が互いの毛皮に顔を押し付けて震えていた。
耳はぺたりとねてしまい、尻尾は足の間に隠れ、目をぎゅっとつむっている。
すぐに雨が降る音がしはじめて、それと同時に雷が盛大に鳴り始めた。
床や壁をびりびりと震わせるように響く音がするたびに、二匹の体がびくりと跳ねる。
終いには二匹して琥珀の膝にしがみついて震えていた。
「しかたねえなあ」
琥珀は呟いて二匹を膝に抱えあげ、手で二匹の耳を塞いでやった。
体温に安心したのか、震えがおさまっていくのがわかる。
雷が過ぎ去るまでそうして、気づけば二匹はそのまま眠ってしまっていた。
「気が合ってんだか、合ってないんだか。こうしてりゃ、可愛くねえこともねえんだがな」
琥珀はもう一度ため息をついて、目を覚ますまではこうしていてやろうと柱に身を預けた。
「まだお前の方が度胸があるよ。押入れに隠れねえ分だけな」
琥珀の言葉に思わず凛音は笑みを浮かべた。
まだ雷は鳴っている。音が響くたびに体は強張るが、琥珀が背中をぽんぽんと叩いてくれると少し安心する。
そうしてどれくらい経っただろうか。
突然ふすまが勢いよく開いて、翡翠が姿を現した。
「弱虫毛虫は、ここ?」
「弱虫毛虫じゃないもん!」
「あれ?思ったより元気じゃないの。怖くて震えてるかと思ったよ」
緑色の目を細め、にやにや笑いながら言う翡翠に腹が立って、凛音は口を尖らせた。
「ちっちゃい頃の翡翠よりマシだって、琥珀が言ったもん」
「・・・こ-はーくー?」
翡翠が、ひくりと青筋を立てる。
ざわりと殺気が体から立ち上る翡翠に、琥珀は悪びれもせず笑って見せた。
「いやあ、凛音の気を紛らわそうとな」
「余計なことしゃべらないでよね!凛音も!弱みを握ったなんて思ったら大間違いだよ。生意気な口はこうしてやる」
翡翠が凛音の頬をつまんでひっぱった。
「いひゃい・・・」
思わず文句を言った口に、ぽんと何かが放り込まれる。
凛音は驚いて、でも、すぐにそれが大好物の飴だということに気付いた。
ぜいたく品だから、と普段はめったに買ってくれない、上等の飴だ。
口の中で淡く甘さが溶けていく。
「翡翠・・・これ・・・」
頬をひっぱられた反動で涙目になったまま見上げても、翡翠は目をそらせて、こちらを見ない。
仕方なく視線を下げると、着流しの裾が盛大に濡れていた。
「この雨の中を、買いに行ってくれたの?」
水が嫌いで、雨の時は絶対に外になど出ない彼が。
「たまたま用事があったんだよ!」
ふてくされたように言って、翡翠はその場で背を向けたままごろりと横になった。
だが、その体を思い切り踏みつけた足があった。
「痛っ!」
「人の通る場所で寝るな。邪魔だ」
踏んだのは瑠璃丸だった。
そのまま思い切り踏み込んでから、凛音のそばにしゃがみこむ。
「これを」
普段どおり口数は少なかったが、優しいまなざしで差し出された手には二つのお手玉が乗っていた。
先だって小間物屋で売り出していた、きれいな布で作られ、鈴を仕込んであって遊ぶとりんりんと音が鳴るものだ。
「瑠璃丸?」
「・・・欲しがっていただろう?ちょうど、道場の給金が入ったのでな」
彼もなぜか目をそらしたまま、口の中でもごもごとそう言った。
「・・・へええ」
翡翠がそれを見て目を細める。
「贅沢は駄目だって言って、凛音にべそかかせてたくせに」
びくり、と肩を震わせた瑠璃丸が、その紺碧の瞳でぎらりと翡翠をにらみつけた。
「お前こそ、わざわざこの雨の中買いに出るなど、どういう風の吹き回しだ?」
「あ、あ、ありがとう!二人とも」
思わず琥珀の膝から下りて二人の間に割って入ると、凛音は二人を見上げた。
自分の為に気遣ってくれた気持ちがうれしかったから、ケンカはしてほしくなかった。
「もう怖くないよ。大丈夫」
そう笑って、二人の腕をぎゅっと抱え込む。
可愛い妹分の笑顔に、翡翠はにやりと笑い、瑠璃丸は目元をほころばせた。
雷はいつの間にか遠くに行ってしまっていた。
-終-
参加してます。もしよろしければ、クリックお願いします。
にほんブログ村
あとがき
やっと、書きたかったものをひとつ書きました。
猫又と犬神と妖狐は、龍の子供の面倒を見ています。
時代設定的には、江戸時代の宿場近く、といったところでしょうか。
まだまだ設定も煮詰めていないので、曖昧な書き方で、伝わりにくいところもあるかと思いますが、わちゃわちゃしている雰囲気が出せたらいいなと思っています。
読み返したら、書き直したくなると思いますが、とりあえずこれにてUP。
お付き合いありがとうございました。