宵月楼-しょうげつろう-
あやかし風味。ミステリー皆無。恋愛要素多少混入。
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彼誰時(かわたれどき)
「ああ、朝焼けか」
琥珀は昨夜泊まった安宿の障子を開けて、そのどこか仄暗い橙を目を細めて見上げた。
夕刻を「誰そ彼時(たそかれどき)」」というように、明け方は「彼誰時(かわたれどき)」と言う。闇の薄れた、しかし、明るさの足らない空気に、夢と現の境が曖昧になる。顔を合わせてもそれが人かそうでないか見分けがつかぬ。
夜はあやかしの時間。
昼は人間の時間。
光に闇が駆逐されていくように、濃くたゆたっていたその気配が次第に薄れてゆく物悲しさが空の色に表れているような気がする。
・・・くだらない感傷だ。
こつん、と煙管を盆にあてて灰を落とすと、今まで蛍のように暗い赤に揺らめいていた灰がゆっくりと冷えていく。
それを見ながら、琥珀はうっすらと笑った。
淡い藤色の着物を着崩したその姿は、人の形をとっているが、耳は金色の毛に覆われてとがり、普段無造作に束ねられている髪は、今は流れるまま金糸の滝の如く背を覆う。
細めた目の奥は、名の通り琥珀をはめ込んだような色を宿して、人にはない輝きを放つ。
昼間は見せない妖狐の姿は、橙に染まった空気にしっくりと馴染んでいた。
人はまだ目覚めず、あやかしは闇に消えるこの時間が自分には合っているのだろう、と、ぬるい酒を口に含んで琥珀は考える。
この姿のように、狐でもなく、人間でもない生き方を選んだ自分には。
どちらにも関わっているようでどちらにも属さぬ、ふらふらとさまよう身は、特に気持ちまで彼誰時に塗りつぶされる気がする。
「主様?」
伏見の稲荷から使わされた白狐が、琥珀をもの問い気に見た。
獣の姿を変えもせず、艶やかな尻尾を軽く振るう。その様は人の姿をとるなど矜持が許さぬとでも言うかのようだった。
「なんだ?」
「主様はなにゆえ人の世に留まられるのです?望めばいつでも神にお仕えできる神格がおありだというのに」
「そりゃ、俺のばあさんだろう」
苦笑交じりに琥珀は杯を干した。
「確かにばあさんはすごいけどな、俺ぁ江戸生まれのただの野狐だよ。ちいと化けるのが上手いだけのな」
皮肉げな笑みが琥珀の唇に浮かぶ。
彼の祖母は高い妖力を持って生まれ、いまでは伏見の狐を束ねるほどの存在だった。しかし、その子と孫はほとんどが野狐としても力の弱い部類であり、短命だった。
そして、唯一強い妖力を持って生まれた琥珀は、決して神に仕えようとはしない。
「いいじゃねえか。ばあさんだって俺を連れてこいなんて言っちゃいねえんだろうがよ」
「確かにそうですが・・・」
白狐にとって伏見稲荷は命にも等しい。それを軽く見られていると思うのか、不機嫌そうに尻尾が揺れる。
だが、彼の性格をよくわかっているのか、琥珀の祖母が一度も神域に来いとは言わないのは事実だった。
「食えないばあさんだからなあ」
嫌がる琥珀を連れてくるより、人の世に慣れた彼をそのまま人の世で使う方が得策だと考えたらしく、時折仕事を言いつけられるだけである。
そのまま人の世で暮らせるなら、琥珀にとっては願ったりだった。
もっとも、その度に使いの狐に小言を聞かされるのには閉口するが。
「それより要件を言えよ」
いい加減小言に付き合うのも疲れてきたので、そう急かす。
白狐はため息をついたが、それ以上繰り事を並べることはなく、どこから取り出したのか、人間の拳ほどの大きさの水晶の塊を琥珀の前にごとりと置いた。
「これをお預かりください」
「あ?」
琥珀は眉をひそめた。塊を手に取り、しげしげと眺める。
「預かるって、なんだこりゃ。それに、いつまで?」
だが、目をあげたとき、もう白狐は姿を消していた。
「・・・おい」
呟いてはみるもののむなしいだけだと悟って、琥珀はもう一度その塊に目をやった。狐を介して預けられたのなら、尋常な品ではないはずだ。
「ん?」
触れているうちに、それが微かに脈打っていることに気づく。
「卵を孵すには温めるが・・・さて、どうするか」
口ではそう言いつつも、迷いのないしぐさで右手を掲げた。
瞳の琥珀色の光が強くなり、金に近くなる。
ぶわりと髪が広がり、そしてゆうらりと生まれた狐火が水晶を包むと、ぴしりとひびが入った。
そして、光が溢れだす。
「おっと」
溢れる光の中で、水晶は氷が溶けるように姿をなくした。
代わりに光の塊が生まれ、それがゆっくりと人の形を成した。
光が収まると、そこには長い黒髪の幼子が一人。
「おいおい・・・」
もう一度呟いて、琥珀はそっと幼子の頬にかかった髪を払ってやる。
すると、ぱちりと音をたてるような勢いで幼子が目を開けた。微動だにせず、ただその黒目がちの瞳で琥珀を見上げる。
感情もないその瞳は、まるでギヤマンでできているようだと思った。
「おい、大丈夫か?」
思わず声をかけた琥珀と目が合う。
「痛いところとか、ねえか?」
すると、ほっとしたように肩の力が抜けたように見えた。
見る見るその目に涙が浮かび、それにつれて湧き出すように瞳に光が宿った。
感情が溢れるように、涙が堰を切る。
そして。
「・・・う・・・うぇっ・・・」
幼子は琥珀の膝にすがり付いて盛大に泣き出した。
すべてをためらいなく、初めて会った彼に預けて。
「お、おい・・・」
琥珀はわあわあと声をあげて泣く幼子を呆れたように見ていたが、やがて苦笑を浮かべてその背をさすった。
「預かるのは、こいつかよ」
ほんの五歳くらいの少女に見える。
だが、外見は完全に人間だが、身の内に強大なあやかしの気配を宿していることはわかった。おそらく年も外見どおりではないだろう。
だが、どんな事情があるにせよ、そのすがりつく手を解くなど自分には出来ないのだと琥珀にはわかっていた。
世話好き。
物好き。
おせっかい。
個の意識が強いあやかしらしくないとはいえ、それが性分なのだ。
「まあ、付け込まれた気がしないでもねえが」
自分の性分を分かった上で、寄こしたに違いない。
祖母の厳然とした姿を思い浮かべて、あのくそばばあと口の中で悪態をつく。
朝焼けが消えた空は気付けば雲に覆われ、ぽつりぽつりと雨を落とし始めた。
よくよく探れば少女の気配は水の気が濃い。
もとより朝焼けの日には雨になるというが、彼女の涙に少し早く呼ばれたのかもしれない。
だが、その雨は、気の緩みから泣き続ける少女と同じように、優しく温かく感じた。
「心ゆくまで泣くがいいさ」
いつだって雨はすべてを洗い流し、新しくするのだから。
彼誰時に出会った、人にもあやかしにも見えるこの少女が、なぜか薄暗かった自分の世界を変えてくれるようなそんな予感がして、琥珀は密やかに笑った。
あやかしの癖に人の世を渡り歩く酔狂も、このためだったとすら思えてくる。
だから、まだ涙の枯れぬ温かく小さな存在にそっと呟いた。
「決して違えることのない約束をしてやる。俺に預けたその涙に誓って、この先、俺はお前を守ってやろう」
琥珀の声は、雨音に彩られてどこまでも優しく響いた。
-終-
【あとがき】
お題:
「朝焼け」、「煙管」、「蛍」で創作しましょう。 http://shindanmaker.com/138578
煙管を持った、ちょっと崩した着物の琥珀が浮かんだので(煙草はあとの二人には似合わなくてw)、なんとなく朝焼けからイメージする琥珀を書いていったら、思ったよりも重要な一場面になってしまいました。
伏見稲荷と縁があったり、凛音初登場だったり、思ったままに詰め込んでしまった感は否めません。
ただ、素人ですし、こうやって生まれてくるものを書いて世界が出来ていくのを楽しむのもいいかな、と思っています。
こうなると、この後の会話とか、子供を育てるのに無理を感じて翡翠と瑠璃丸を引っ張り込む琥珀とか、その辺も書きたいですね。
ぼちぼち、書いていこうと思います。
さて、夏真っ盛りですんで、できれば花火や祭りを題材にしたいのですが、江戸でもなし、どうしましょうかね。
その辺も、悩ましいながらに考えるのが楽しい作業です。
読んでいただいてありがとうございました。
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