宵月楼-しょうげつろう-
あやかし風味。ミステリー皆無。恋愛要素多少混入。
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蛍の季節には少し間に合わなかったかも知れませんが、よろしくお願いします。
猫又の「翡翠」が主人公の掌編です。
長く長く生きるあやかしだけど、愛した人は人間で、その転生を待っては探し出してまた巡り会う、そんなことを繰り返している彼の、蛍が舞う夜のお話。
舞台設定としては、江戸時代の、どこか山あいの宿場近くの村、といったところです。
本文は【Open?】で開きます。
蛍火と戯れる宵
昼間は少し降っていた雨も夜には上がって、空には星が瞬いていた。
僕は寝静まった家をこっそりと抜け出して、いつもどおり夜の散歩に出る。
もっとも、古いあばら家は戸板の滑りも悪くてうるさいから、みんな気づいていただろうけれど。
でも、知らぬふりをしてくれているんだってことはわかっていた。
一緒に暮らしている犬神も妖狐も小さな頃からの付き合いで、僕の癖のことは承知しているからほっといてくれる。
なぜだろう。
最近、僕は無性に夜を彷徨いたくなる。
何かから逃げるように。息ができる場所を探すように。
昼間は昼間で普通に生活できているのに、夜の帳が降りるとどうしてもじっとしていられない。
それも、今までは時々のことだったけれど、ここのところ毎夜、僕は家を抜け出していた。
特に、僕らの前に「あの子」が現れてからは。
どこから見ても人の子にしか見えないあの龍の娘。
あやかしの力を振るうわけじゃない。
むしろ、そんなそぶりは見せたこともない。
ほんとに普通の子供のように、泣いて笑って、どんなに邪険にしたってなついてきて。
落ち着かなくなる。
だから、雨が降ってなければ、たいてい寝床を抜け出して散歩に出た。
夜は、案外静かじゃない。
宿場から少し離れた村だから、蛙も鳴くし虫もうるさい。山あいにあるから、夜の獣たちもそこここで見かける。
でもやっぱり昼間に比べたらそれらはどこか密やかな感じで、その空気を肌で感じていると、何故か落ち着く気がした。
行き先なんて決めているつもりは無いけど、ここのところ、僕の散歩はたいてい竹林の間を流れるせせらぎのほとりに行き着いた。
さやさやと竹の葉が擦れあう音と、水の流れる音。
降ってきそうな空の星の光と、そして。
目の前には、緩やかに乱舞する無数の蛍。
音もなく、ただゆっくりと明滅を繰り返す彼らは、いつまで見ていても飽きることがない。
その熱のない光は、妖狐の狐火よりもはかなくて、星よりも身近だった。手を伸ばせば指の先に戯れに止まるものもあり、僕は飽きもせずそれを眺めた。
儚くて消えてしまいそうな小さな光が、何故かとても心をつかむ。
そうして蛍火と遊んでいたら、不意に背後に慣れた気配を感じた。
本人はうまくごまかしているつもりだろうが、まだ気配の操り方は未熟で、バレバレだ。
「出ておいでよ、凜音」
振り向きもせず声をかければ、びくりと体を震わす気配がして草を踏みしめて影から姿を現した。
その姿は五歳程度の幼子のもの。
黒より少し地面の色に近いまっすぐな髪が、今は結わえもせずに背中に流れている。
当然だ。僕が家を出てくる頃には布団に入っていたんだから。
一重の寝間着だけでふらふらと外へ出るなんて、二人もそばにいながら何をやっているんだろう。
僕は、普段口うるさいくらい過保護な同居人たちを思い浮かべてため息をついた。
この子が家を抜け出したら、気付かないはずないのに。
「・・・ほら、おいで」
悪いことをしている自覚があるのか、もじもじしている小さな体を手招きして、僕は草の上に胡坐をかいた自分の膝の上に座らせた。こんな薄着で直に座っちゃ、冷えてしまう。
「どうしたの。こんな夜中に出歩いたらダメでしょ?」
そう咎めても、僕が本気で言って無いことなんかこの子にはわかってる。それでも残してきた二人に心配をかけることに思い当たったのか、少ししゅんと肩を落とした。
あごの下にすっぽりはまって見えないけれど、きっと大きくて黒目がちのその瞳は、少し泣きそうに潤んでる。
「・・・まあ、僕は説教狐や頑固犬ほど固くないからね。第一、夜中に出歩いてるのは、僕も一緒でしょ?」
小さな体を覆うように後ろから腕を回すと、こくりと凛音は頷いた。
「ごめんなさい」
「いいよ。帰りは一緒だから危なくないし。でも、もう少ししたら帰るよ」
「うん。・・・翡翠は、蛍を見に来たの?」
凛音の持つ水の性質に惹かれるのか、蛍たちはふわりとその髪や頬に触れては離れていく。まるで、挨拶をするように。
その光に見惚れている凛音をきゅっと抱きしめて、僕は少し苦笑した。
「わざわざ見に来てるつもりは無いんだけど、ふらふらしてたらここに来ちゃうんだよね」
僕の苦笑をどう取ったのか、凛音の手が僕の腕に触れた。
少し体温の高い、子供の手。
「前に琥珀が教えてくれたの。蛍のなかには、時々亡くなった人の魂が混ざっているんだ、って」
幼子の声で、しかしどこか老成した巫女のように静かに凛音は呟く。
そして、不意に顔を上げて僕の瞳を真っ直ぐ見つめた。
「翡翠は、それを探しているの?」
僕は胸をつかれた。
差し出す指にとまる蛍。
いくつもの明滅する光。
それらの中に、蛍火のような別の何かがあったなら。
それは、気付いていなかった飢えの様に、不意に自覚させられ、自覚したら耐え難いほどに心を締め付けた。
過去は過去。
愛した人は人間であるがゆえに、あやかしである僕を置いてすぐに生を終える。満足して人の生を終えて、僕に悲しむなと言い残して、そうしてあっさりと去っていく。
昔からたった一人。
何度も生まれ変わっては、何度も僕を置いてゆく人。
その面影を僕は蛍に見ているのだろうか。
生まれ変わるのにどのくらい時間がかかるかはまちまちで、僕は待つことに少しくたびれているのかもしれない。
蛍に紛れて会いに来て欲しいと願うほどに。
「・・・あの人は、こんな僕を見たらきっと笑うだろうな。それとも女々しいって怒るかな」
でも、君のいない時間は、寂しい。
それでも今までは寂しいなりに我慢して、忘れることは無いけれど出会えるまでは意識の隅にしまって、生きて来れたんだ。
時々の夜の散歩で君を思い出しては、明け方にはしまいこんで。
でもこの子が来てから、何故か笑っていられる時間が増えて、それに気づいて落ち着かなくなったんだ。
だから散歩は毎夜になった。
それは罪悪感。
君を待ち焦がれるだけの自分じゃなくなってしまったのを、僕は自分で気付いてしまった。
そんな自分がわからなくなった。
だから、逃げるように彷徨う。
「翡翠。大丈夫」
凛音は体を僕に預けて、少し眠そうに呟いた。
「凛音?」
「大丈夫。笑わないよ。怒らないよ。だってほら」
小さな手を空へ伸ばし、何かを招くようにゆらゆらと揺らす。
蛍の中から小さな光がふわりと抜け出してそこに止まる。
黄色い色の光の中で、少し色が違って見えた。
もっと濃い、黄昏の色。
「ほらね」
その光を、凛音は僕の手にそっと移した。
よく見ればそれは蛍の特徴である明滅をしていなかった。
指先から懐かしい感覚が広がる。
君を抱きしめた時の、甘い痺れが。
「・・・あ」
そして唐突に悟った。
凛音が言うように、笑ってはいない。怒ってもいない。
少し情けない僕を心配して、ほんの少しだけ様子を見に来てくれた。
そして安心したように微笑んでいる。
僕はこれでいいの?
君に会えるまでずっと君のことしか考えていない、そんな僕じゃなくても、いいの?
--あんたはいつも大事なものがたった一個なのね。それは寂しいことなのよ?それに・・・心配だわ。
君が時折言う言葉が脳裏によみがえる。
今までは大事なものなんて君だけでよかったから、理解できなかった言葉。
今なら、わかるよ。
僕は、笑った。
「そうだね。もうちょっと、待ってるよ」
今は手のかかるお嬢さんのお守りをしながら。
子供は毎日うるさいし、一緒にいるやつらも気が合わなくて言い合いばかり。
忙しくて、騒がしくて、きっと、あっという間だ。
「・・・だから、心配しないで」
囁くと、光はふわりと一度強くなり、そしてふっと消えた。
気がつくと凛音は寝息を立てていた。
その髪にぱたぱたと水滴が落ちて、僕は初めて自分が泣いているのに気付いた。
悲しいんじゃない。
会えたことがうれしくて。
いつでも僕を想ってくれているのが幸せで。
この子は、きっと僕を心配してきてくれたのだろう。
だから、過保護な保護者たちも何も言わずに来させたんだ。
でも、揃って心配されていたと思うと、なんだか子ども扱いされているようで気に入らない。
「僕を泣かせるなんて、百年早いよ」
僕は涙をぬぐうと、眠ってる凛音の柔らかいほっぺをむにっとひっぱった。
むにゃむにゃとわけのわからないことを言いながらも起きない彼女にまた笑みが零れる。
この子は、僕の愛しい人とは別の意味で、特別な存在になるんだろう。
そんな存在が僕に出来ることを、君が喜んでくれている気がした。
-終-
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